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V Dancing
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「類」


シャンパンを受け取ろうと、ボーイに手を伸ばした瞬間、後ろから声をかけられた。

振り返れば、穏やかな笑みを浮かべたあきら。

とりあえずグラスを二つ受け取り、彼に声をかける。



「悪いけど、もう二つもらってくんない?あきらと俺の分」



二人でボーイに礼を礼を言うと、牧野達が待つ場所へと向かう。



「牧野と話せたか?」



「殆ど話してない。・・・でもサンキュ。

 あきらが気を利かせてくれなかったら、多分会うことすらできなかったと思う」



学生時代から変わらないあきら。

もし彼が、牧野の迎えを勧めてくれなければ―――

あきらは、迎えのことをどういう風に彼女に伝えたのか気になるのだが―――

俺たちはこうして言葉を交わすことも、触れ合うこともなかった。

あのインペリアル・トパーズが日の目を見たことだって、あきらがいたから叶ったこと。



「どういたしまして。愛し合う恋人同士が離れ離れなんて悲しいじゃん?

 ちょっと肌を脱いだだけでこんなに感謝されるなんて、なんだか照れ臭いね」



まんざらでもなさそうに笑う。でも、『愛し合う恋人同士』はないだろ?



「言っただろ?前牧野と食事に行った時の話。『花沢類を今でも忘れられない』って」



まるで心の内を見透かしたかのような絶妙なタイミング。

思っていたことをずばりと言い当てられ、思わずグラスを落としそうになる。



「・・・あきらの言ったことが本当ならね」



「俺が嘘ついたことあったか?」



答えは『ない』。しかし、そんな都合のいい話、信じろと言ってすぐに信じられるだろうか?

現に、牧野は司を見て意識を飛ばしたじゃないか。

それに、彼女は俺を『忘れられない』と言っただけだ。『好きだ』なんて、言っていない。



「ところで、牧野は?」



「婚約者と話してる」




彼女たちの待つ場所へ。ところが、姿を見つけて呆然となった。

その場にいるのは、いつの間にか姿を現した総二郎と、婚約者と、その後輩。

牧野の姿が・・・ない。


身体から血の気が引き、背筋を何かが走りぬけるような気がした。

二つのグラスが、掌から抜け落ちる。



カシャン・・・・・



小さなガラス音が、とてつもなく大きな音に聞こえた。

頭の中で、何度も何度もリフレインする。

心配そうに覗き込むあきら。駆け寄るボーイ。

自分から遠くはなれたところで世界が動く、そんな錯覚に苛まれながら、

力の抜けた足で彼女たちのもとへと急ぐ。



「お、類。久しぶりだな」



総二郎の挨拶など無視し、婚約者の肩をぐっと掴んだ。



「ちょ・・・類くん痛いよ。どうしたの?」



「牧野、どこ行ったんだよ?」



会場中が、ざわめいた様な気がした。

自分でもわかる。余裕のない声を張り上げて、みっともない姿を晒していることくらい。

でも、それほど切羽詰っているのだ。

牧野の姿が見えないだけで、息ができないほど苦しくなる。


真直ぐに、婚約者を見詰める。

彼女も、真直ぐに俺を見つめ返す。

静かな戦いが嫌になったのか、不意に目をそらし、小さな声で呟いた。



「・・・つくしなら、司のところに行ってる」



 ―――――目の前が暗転した。

牧野が、司の所に?最初に感じたのは虚脱感。

その後、彼女に対する怒りがふつふつと湧き出す。

気付いた時には婚約者の肩を思い切り掴み、壁に押し付けていた。



「あんた、自分が何してるのかわかってんの?!」



「類、やめろっ・・・」



今にも殴りかからん勢いの俺を、総二郎が必死で止める。

俺たちの間に入り込み、彼女を庇うように抱きしめるのはあきらだ。



「類、落ち着けよ」



落ち着けるはずないだろう?牧野と司が会ってるっていうのに。

今ごろどこで何をしているのだ、考えただけで、吐き気がする。

やがて騒ぎを察知し、駆けつけたSP。

彼らが出てきたら・・・出しかけた拳をしまう他にない。

頑丈そうなSPに守られながら、婚約者は姿を消した。

―――何か言いたげな表情で俺を見つめながら。



「・・・花沢さん、少しいいですか?」



嵐の後の平穏。

事の成り行きを興味本位で眺めていた来賓も、何事もなく済んでしまったことに多少興ざめしながら、

自分たちの世界へと戻り始める。

呆然、自失、虚無、虚脱。

そんな言葉が脳裏を掠め過ぎていく。

自分を守るため、全てをフェードアウトしてしまいそうになった俺をこの場に留まらせたのは、

牧野の後輩の一言だった。

不安や悔しさや怒り、色々な感情が入り混じり、俯くことしかできない自分。

この醜い感情を消し去るために。

感情を支配する不安をかき消すために。

彼女の申し出にうなずく以外、俺に何ができたというのだろう・・・?



































「・・・本物?」



 ―――どうしていつもこうなんだろう?

大切だ・・・と思った瞬間に、考えてもいない、突拍子のない言葉が口から零れる。

今回だって例外ではない。

呆気に取られた道明寺を見て、心の底から後悔した。



「・・・昔、いたよな、俺のそっくりさん。

 ババアが探してきて、俺たちを完全に別れさせよう・・・なんて企んでさ」



懐かしいな・・・と、道明寺が笑った。

今度は、馬鹿にされるものだとばかり思い、目を閉じて俯いていた私が呆気にとられる番だった。

顔を上げた瞬間、彼と目が合う。

何故だかわからないけれど笑いがこみ上げてきて、二人で声を出して笑った。



「お前全然かわってねーな。四年も経って、少しは成長してるかと思ったけどよ」



「余計なお世話よ・・・」



未だ笑い続ける道明寺の胸を、拳で軽くごつく。

悪い悪い・・・と謝りながら、胸ポケットの携帯用灰皿に、吸いかけの煙草をねじ込んだ。



「煙草・・・吸うようになったんだね・・・」



「ああ、お前と別れた直後に」



何かすがるものがないと、ずるずる堕落しそうだったから・・・


はかなく微笑んだ道明寺に、胸が痛くなる。

そんな私の表情を察したのか、彼は再び、明るい笑顔を浮かべた。



「そんな顔すんな。別にお前を責めてるわけじゃねーよ」



うん、それはわかるけれど・・・それでも『別れ』のしこりはお互いの胸に残ったまま消えていない。

どうしたらいい?どうしたら、綺麗に溶かしてしまえる?



「・・・あ。そういえば、滋さんにお使い頼まれてここに来たんだけど・・・」



当初の目的を忘れてしまうところだった。

彼女からの伝言を伝えなければ、困ってしまう人がこの辺りにいるというのに。



「ああ、それ俺のこと」



「・・・はぁ?」



「お前が探してる奴、俺」



道明寺の言葉を理解するのに、かなりの時間がかかったと思う。

・・・ということはだ。つまり、滋さんは初めから私と道明寺を会わせるつもりだったというのだろうか。

一体何を考えているのだろう。

自分の婚約者と、その元恋人を二人きりにさせるなんて。

煙草、吸うぞ・・・と断りを入れてから、道明寺はくわえた煙草に火をつける。

その姿は妙に様になっていて、思わず見とれてしまう。

が、こんな顔を道明寺に見られたら、きっとつけあがるから、ここは表情を引き締めていなければいけない。



「おかしな話だがな、俺との婚約を受け入れる条件が、これだったんだよ」


これというのは、つまり私と彼がきちんと話をすること・・・ということ?



「よく考えれば、滋の気持ちもわかるんだけどな。

 お前と滋は親友・・・少なくとも滋はそう思ってる。

 あいつにしてみれば、いざ婚約したものの、俺はお前に未練残してて、

 お前は滋を避けるようになって・・・

 なんて、本末転倒もいいとこだ。

 幸せになるはずの結婚が、自分の人生狂わせちまう」



「・・・だから、私たちを和解させよう・・・ってこと?」



・・・安直というかなんというか。

彼女らしいといえば彼女らしいが、何か根本的なところで間違っているような気がする。

もし、私たちが話し合った結果、お互い未だ好きだということになったらどうするつもりなのだろうか。

今更婚約破棄、なんてできるわけがないのに。

しかし、道明寺の言葉で、私はそれが全くありえないことだと確信した。


 
「俺たちのこと、信用してるんだろうな。そうでなきゃ、こんな危ない橋渡れない」



つまり、道明寺は信用してくれる恋人を裏切るわけにはいかない。

そう言っているのだ。そして、私も自分を信じてくれる友人を裏切ることなんて、絶対にできない。



「ま、それでなくたって、お前の方は全くそんな気ないだろうけど」



ふぅ・・・と煙を吐き出しながら、道明寺が笑った。

煙草を持っていない方の手で、胸元のネックレスを指さす。



「それ、類にもらったんだろ?」



小振りだけれど、それだけで存在感のある赤い宝石。

名前なんて知らないけれど、価値のあるものなのだろう、ということくらいはわかる。



「パーティーの間だけ貸してもらってるだけだよ」



「それでも、類のものを身につけてるわけだろ?」



俺がプレゼントした土星のネックレス、お前がつけてるの見たことないからな・・・

煙草の火を消しながらそう言った道明寺は、まるで今にも泣き出しそうな表情をしていた・・・と思う。

返事に、詰まった。



「今しか言えないから言う。正直、自分の中でお前のこと、昇華できたなんて思ってない」







     





「・・・・・」



道明寺の真直ぐな視線が、痛い。でも、反らすことなんてできない。



「だから、これで最後だ」



言葉と同時に、廊下へと続く重い扉を開け放つ。

ピアノの調べが、耳に心地よく響く。

会場から聞こえてくる音楽だろうか?






「・・・俺と、踊ってください」

       

手を差し出す道明寺。

一瞬躊躇するものの、息を呑んで手を取る。





           





「・・・わたし、踊れないよ?」



「大丈夫。体合わせてゆらゆら揺れてりゃいいから。どうせ誰も見ちゃいない」



ゆらゆら揺れる・・・実も蓋もない言い方だ。

それでも言われたとおりに、肩と腰に手を沿え、ゆっくりと動き出した。

本当に揺れているだけのダンス。私と道明寺、二人だけのダンス。



「・・・悲しそうな音楽だね」



懐かしいコロンの香りにうっとりとしながら、私はそっと目を閉じた。



「Longing・Love。ジョージウィンストンの曲」



題名は知ってる、と答えると、その程度かよ?と彼が苦笑した。

右に・・・左に・・・ゆっくりと揺れるからだ。ふわふわ心地よい。

最後のダンス。道明寺が私に触れる、最後のダンス。



正直言って、これが悲しいことなのか、私にはわからない。

確かに、私は道明寺に恋をして、そして恋を捨てた。

四年という長い月日の中で、『道明寺』という存在が、自分の中でどのように変化したのだろう。

過去なのか、現在なのか。



このダンスを心地よいと思う。

けれど、最後といわれて胸が痛むわけではない。

滋さんと並んだ彼を見たときのような、焦燥感すら消えてしまった。

今はただ、あの頃を懐かしく思う、ただそれだけ。















「・・・もう、曲終わるかな?」



「・・・ああ」




ピアノの音が、少しずつ小さくなっていく。

リタルダントがかかり、そして、消えた。

訪れた静寂の時。風の音だけが、時折小さく聞こえる。



「・・・曲、終わったね」



「・・・ああ」




少し名残惜しいけれど、これで最後だから。

道明寺の体から腕を離す。

が、強い力で思い切り抱きすくめられた。息ができないほど強く・・・








        
  








「・・・苦しいよ・・・」




「・・・ごめん」




だからといって、力が弱まるわけではない。







どれくらいそうしていただろう。道明寺が、耳元に唇を寄せ、囁いた。








『これで・・・最後だ』











私の体を軽く突き飛ばし、そのまま踵を返す。

振り返ることなく、バルコニーを出る。

カツ、カツ・・・やがて足跡は絨毯に吸収され、その姿も次第に見えなくなった。





「・・・・」





『最後』という言葉が、突然重くのしかかる。

言いようのない孤独が、私を襲う。

いつの間にか流れ落ちた涙が、バルコニーの石床に丸く小さな染みをいくつも作った。



花沢類・・・



突然彼の名前が脳裏に浮かんだ。

そして、今すぐ私の隣に来て欲しいと思った。

抱きしめて欲しいと思った。

でも、彼はここにいない。





どうしようもなく悲しくなって、私は、声をあげて泣いた。











































「何の用?わざわざ外に連れ出して」



数歩前を歩く後輩の背中を、思い切り睨みつける。

彼女が悪いわけではないけれど、そうでもしなければ、牧野を捜しに走り出しそうだった。

ふわふわと足を不安定にさせる豪華すぎる絨毯が、一歩足を進める度に、

少しずつ気持ちを暗くしていく。



「あの場を離れなければ、花沢さん滋さんを殴ると思ったから」



違いますか・・・?と振り返った彼女に、返す言葉が見つからない。



「・・・一応、自分の立場くらいわきまえてるよ」



やっと搾り出した言葉。

よほど真実味がなかったのか、彼女は細く肩を揺らし、笑った。

女に手を上げる趣味はないけれど、あの時ばかりは本気で殴りかかろうと思った。

SPが出てきた時点で、どうあがいても婚約者に拳を振るうことはできなかっただろうが。



「大丈夫ですよ、あの二人なら」



「そんな保証、どこにもない」



後輩の言葉を端から否定する。

皆狂ってるよ。

司と牧野を会わせた婚約者も、それを了承した司も、会いに行った牧野も。

よく事情を飲み込まないままそこへ向かったとしても、

相手が司だとわかった時点で引き返してくるだろう?普通ならば。

だったら答えはひとつしかないじゃないか。


不意に、後輩が足を止める。

俺も・・・止まらざるを得ない。

彼女に誘われてここまで来たのだ。置いていくわけにもいくまい。



「・・・私、道明寺さんに告白したんです。婚約が決まった時に」



「・・・また、一番悪い時期を選んだんだね。要領悪いんじゃないの?」



手厳しいですね、と苦笑する彼女が腹立たしい。

告白でも駆け落ちでも、勝手にすればいいじゃないか。

俺には関係ないし、それを聞く義務だってない。



「もちろん、玉砕ですよ。それ以外の結末だったら逆におかしいんですけどね」



「・・・・・」



「悲しかったです。ずっと・・・小学生の時からずっと好きだった人に振られたんですから。

 でも、すっきりもしました。自分の気持ちに決着つけられたし、前に進める・・・と思ったんです」



「・・・なんでそんなこと俺に言うの?何が言いたいわけ?」



彼女の言葉を遮るよう、吐き捨てるように言った。

これを俺に聞かせて何になるというのだ。

安い同情をしてもらいたいのか?

『かわいそうだったね、大変だったね』と、哀れむふりをすればいいのか?


胸にあった言葉を吐き出そうとした瞬間、彼女の表情が変わった。

柔和なそれは陰を潜め、鋭い視線で、俺をしっかりと睨みつける。



「そんな風に気持ちを伝えてもいない花沢さんに、滋さんや道明寺さんを非難する権利なんてない・・・

 って言いたいんです」



言葉に・・・詰まった。

突然の言葉に、胸の鼓動が速くなる。



「牧野先輩に、自分の気持ち伝えたことありますか?道明寺さんに、宣戦布告したことありますか?

 大切なこと伝えずに、文句だけ言うなんて、一番卑怯だと思わないんですか?」



「・・・・・」



悔しいけれど、何一つ言い返すことができない。

牧野に気持ちを伝えたか、否。司への宣戦布告、否。

何も・・・俺はしていない。


言い過ぎた・・・と思ったのだろうか、

俯く俺に微笑みかけた後輩の笑顔が、心なしか引きつっているような気がした。



「・・・道明寺さんは、滋さんの事を一番に考えていました。

 形は違っても、彼が滋さんを想っていることには変わりないから、だから、大丈夫ですよ」



先に会場に戻ります・・・と、後輩は今来た道を戻っていく。

何も声をかけることができないまま、小さくなる後ろ姿を見つめながら、

先ほどの司を脳裏に思い描いてみた。

穏やかな笑みを浮かべ、婚約者と並ぶ姿。


他の女を好きでいながら、あんなに幸せそうに笑えるだろうか。

昔の女を忘れられないまま、あの男が他の女を受け入れることができるだろうか。

答えは・・・否。


この先には、確かバルコニーがあったはずだ。

喧騒と熱気の会場から離れ、冷たい夜風に当たれば、混乱し始めた頭もクリアになるだろう。

重い足取りで歩き始めて・・・気付いた。正面から同じように歩いてくる人影に。



「・・・・・よお」



俺の姿に気付き、軽く手をあげたのは、目を真赤にした司。

平静を装うその声も、微かに震えていた。



「・・・・・うん」



なんと声をかけたらいいのかわからず、目をそらして軽く手をあげる。

こんな所で会うなんて・・・予想外だ。



「牧野の迎えか?」



「・・・・・別に」



会話が、続かない。
司の表情を見れば、二人の間であったやり取りは容易に想像できる。

安易な言葉は、かけられない。

重たい沈黙の中、不意に司が俺の胸元を拳で押した。



「・・・・・お前は、諦めるなよ」



低い声でそう言うと、俺の返事を待たずして歩き始める。

向かう先は、喧騒と熱気の婚約パーティーの会場。

ああ、『今日の主役』に戻るんだ・・・。

真赤な目を、どう言い訳するんだ?震えたその声で、どんな言葉を紡ぎだすんだ?

痛々しい司を想像しながら、その後ろ姿を見送った。


司から託された言葉が、体に重くのしかかる。

諦めたくない、諦めたくないけれど・・・先が見えない想いを、ずっと抱えていくのは辛すぎる。

二人の関係が壊れていく様を見せ付けておいて、俺に『諦めるな』という司。

それは残酷な仕打ちだね。俺は・・・どうしたらいい?


いつの間にか科せられた思い。

出口のない迷路に迷い込んだような感覚。

熱を帯びた頭を少しでも冷やそうと、急ぎ足でバルコニーに向かう。


普段は締め切ってある重い扉が、何故か開いたままになっていて、不思議だな・・・と思う間もなく、

扉の向こうの、その姿に釘付けになった。



「・・・牧野?」



俯いて、肩を上下させ、石床に幾つもの涙染みをこしらえる牧野の姿。

驚いて、駆け寄った。

どうしたの?・・・なんて聞かなくたっていい。

涙でぐしゃぐしゃになった牧野の頬を両手で挟んだ瞬間。


彼女が、胸に飛び込んだ。


背中にしがみつき、堪えていた嗚咽を漏らし始める牧野の肩に、そっと手を置く。



「花沢類・・・花沢類・・・・・」



何度も何度も俺の名を呼ぶその姿が、愛しかった。

二人の間であったやり取りは、容易に想像できる。

でも、二人の心の内は、もしかしたら俺が想像していたよりももっと複雑だったのかもしれない。


『お前は諦めるな』


司の言葉が、少しだけ軽くなったような気がした。

この想いの行き先が、少しだけ見えたような気がした。




































花沢類に会いたい・・・


そう思ったのに、彼はいない。

どうしようもなく悲しくて、涙が零れ落ちた。

曇った視界に映った彼の姿は、もしかしたら幻かもしれない、そう思ったけれど、

必死で手を伸ばして掴んだものは、とても温かかった。

幻ではないと分かった瞬間、心が満たされていく気がした。



どれくらいそうしていただろう。

背中に回していた腕を外し、彼を見上げる。

心配そうな表情で、涙でぼろぼろになった顔を覗き込む彼が、とても愛しかった。



「・・・もう、大丈夫。会場に戻ろう」



そう言ったときの私は、なかなか上手に笑えたと思う。


無言のまま会場に戻る道すがら、並んで歩く肩が不意に触れた。

とくん・・・と、心臓が甘い鼓動を鳴らす。

それに気付かれないようにと、半歩体を離したのは、すごく不自然だったのかもしれない。


会場に戻ったら、滋さんと並ぶ道明寺を目の当たりにするだろう。

二人顔を見合わせ、微笑む姿を見ることになるだろう。

そんな思いが脳裏をよぎっても、不思議と落ち着いた気持ちでいられた。

隣を歩く花沢類をちらりと盗み見る。

私のことなど目に入らぬ様子で、ぼんやり前を見ながら物思いにふける、思案顔。

何考えてるの?私と、道明寺のこと?くすぐったい気分になって、口元が緩むのが分かった。


花沢類は何も言わなかったけれど―――

花沢類も、何も知らないと思うけれど―――

滋さんに聞いたよ。

胸元に揺れる、この赤い宝石の話。














『それ、インペリアル・トパーズだよね?』


ひとしきり昔話を楽しんでから、私の胸元を見た滋さんは、それにすぐに気付き、

いいなぁ・・・と私の肩を叩きながら小さなため息を吐いた。


『滋さんの方が素敵なのつけてるじゃない』


宝石音痴の私でもわかる、ダイヤモンドのネックレス。

おそろいなのか、似たデザインの指輪。

左手の薬指で、存在を誇示するように光っている。

小粒でそんなに派手ではないのだけれど、尊い存在感のあるそれらは、ラベンダーのドレスによく似合う。

胸元を指差すと、彼女は幸せそうに目じりを下げ、笑いながら言った。


『だって婚約したんだもん。ほら、「ダイヤモンドは永遠の輝き」なんていうじゃない?

 宝石自体はどうでもいいんだけどさ、一応、けじめとしてもらっておきたいじゃん?』


全然どうでもよくなさそうな笑顔が、少しだけ胸に痛かった、あの時は。


『って、あたしの話なんてどうでもいいんだって。類くんがくれたんでしょ?それ』


慌てて否定しようとしたけれど、見てたよ・・・などと言われてしまったら、タイミングを逃して。

本当は借りているだけだ・・・ということすら伝えられなかった。


『知ってる?トパーズってどういう意味か』


『知らないよ。宝石なんて買えないもん』


相変わらず貧乏生活してるんだから・・・と笑って見せると、滋さんもつられて笑った。


『ギリシア語で、「捜し求める」って意味なんだって。』


『・・・へぇ』


『面白いジンクスもあってね、一緒にいたい・・・と思う人に贈ると、本当に離れられなくなるんだって。』


『・・・・・』



返事が、できなかった。

驚いて・・・というのもあるけれど、

それ以上に鼻の奥がつーんとしたような感じがして、

目頭が熱くなったような気がして、

口を開いたら、何を言うのか自分でも想像できなかった。


『つくし、愛されてるね』



何言ってるの・・・と笑い飛ばそうと思ったけれど、

いつの間にか真剣な表情を浮かべる滋さんに、再び言葉を失った。


『類くん、ずっとつくしを想ってたんだね。司と付き合ってるときも、別れてからも。』


『・・・・・』


『女冥利に尽きるってもんじゃない。』


『・・・そこまで想われるような価値、私にはないと思うけどね』



何とか搾り出した声で、そう言った。


そんないわれのある石をくれた―――貸してくれたのは、ただの偶然?



















「ねえ?」



「・・・ん?」



ぼんやりしていた花沢類が、我に返ったような表情で振り返る。

―――私、自惚れてもいいの?

花沢類に想われてるって、自負してもいい?

―――言いたかった言葉を飲み込んで、代わりに用意していた言葉を言う。



「会場に戻って、道明寺と滋さんを冷やかしたら、一緒に帰ろうね」



一瞬驚いたように目を見開いて、それからいつものように穏やかに笑った。



「そうだね」



会社の屋上で、いつもかみ締めていた想いが胸に甦る。

この笑顔を、透けるような青空に重ねながら思い描いていた。

その雰囲気を、非常階段に見立てた、屋上へ続く階段を上りながら思い出していた。



「急いで戻ろう」



彼の言葉にうなずきながら、ふと別の思いに苛まれる。

たとえ花沢類が好きだとしても、その想いは、封印するべきなのではないか・・・と。

もう一度、身分違いの恋に身を投げ出すには・・・私は大人になりすぎた。

気持ちだけではどうにもならない現実と、社会の厳しさを知ってしまった今、そんな勇気は・・・ない。


会場から聞こえるピアノの曲が、少しずつ大きくなる。



「・・・この曲、知ってる」



「ジョージ・ウィンストンの曲。『Dancing』」



名前は聞いたことある・・・というと、有名だからね、と花沢類が笑った。

道明寺と交わした言葉と重なる。

言葉運びが、その雰囲気が。少しずつ違ってはいるけれど。


穏やかに始まるこの曲も、中盤から少しずつテンポを上げ、激しさを増す。

まるで、今の私の気持ちを象徴するように。


終わった想い、気付いた想い。始まりかけた恋、始まることのない恋。


少しずつ速くなるピアノ曲に自分の思いを乗せながら、隣にいる花沢類を見た。

好きだというだけで走り出すには、臆病になりすぎた自分を哀しく思いながら。







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