「あ、雪・・・」
 最初の一片を見つけたのは、牧野だった。
 それは1月の、妙に冷え込んだ日で、『寒いから嫌』と外出を渋る俺は
 牧野に見事に丸め込まれて、公園を二人で並んで歩いていた。
 ―――というよりも、ポケットに両手を入れて、背中を丸めながら歩く俺の前を、
 落ち葉を蹴りながら、牧野がおどけていたという方がきっと正しいだろう。

 行き先は、最近牧野が気に入っているというカフェ。
 わざわざこんな寒い日に・・・なんて思うけど、

 『花沢類と一緒に行きたいんだもん』

 なんて可愛い顔―――惚れた弱みかもしれないけど―――で言われて、断れるはずかない。
 悔しいけれど、牧野には勝てないのだ。・・・心底惚れてるから。


 「あんまりふらふらしてると転ぶよ?落ち葉は滑るから」
 
 ただでさえ、あんたのブーツ、滑り止めついてないのに。
 そう注意はしてみるけど、牧野は全然気にしてなくて。

 「大丈夫だよ。そんなに・・・」

 って言ってる傍から、枯葉に乗って、勢いよく足を滑らせる。
 転ぶ寸でのところで腕を掴み、何とか踏みとどまらせたけれど。

 「どこが大丈夫なの?」

 軽く睨んでみても、そんなこと気にする牧野じゃなくて。
 へへへ・・・と笑って、ありがとうと俺を見上げる。

 「雪が嬉しくてね・・・」

 「それ、言い訳?」

 雪が嬉しくて転ぶの?理由になってないんだけど・・・


 そう言ったら少し頬を赤くして、

 「花沢類と一緒にいるときに雪が降ったから、すごく嬉しいの!」

 と俯いた。
 そんな牧野が可愛くて、彼女の髪をくしゃりとなでる。
 目をギュッと閉じて、頭上の俺の手を掴む牧野のそれは氷のように冷たくて。
 以前手袋を無くしてから、ずっと買わない彼女。
 そろそろ、新しいものが欲しいんじゃないかと思う。

 「・・・新しい手袋、買いに行く?」

 少し思案顔。
 でも、いらないと首を振る。

 「今日は手袋よりもカフェがいい。花沢類と一緒に行きたいの」

 そこね、抹茶ミルクがあるんだよ?
 
 ・・・?

 一瞬考えて、納得。
 総二郎に抹茶をたててもらった時のこと、まだ覚えてたんだ。
 でも牧野は誤解してて。
 確かに抹茶ミルクは甘くて美味しいけれど、
  あの時はそれしかなかったからそうしただけで。
 さすがの俺だって、コーヒーがあるならそっちがいいに決まってる。

 「牧野が頼んだら、一口飲ませてもらうよ」

 ちょっと苦笑い。
 そのまま牧野の左手を掴んで、コートのポケットにご招待して。
 暖かいポケットの中で絡まる指と指。
 冷たい指でキュッと握られたから、同じように握り返す。

 「・・・あったかいね」

 「・・・それは良かった」

 心底、そう思った。

 「でも、手繋いで歩くのって、ちょっと恥ずかしいね」

 「そう?俺はいつもこうして歩きたかったよ」

 だから、冬が寒くて本当に良かったと思う。
 あついとか、恥ずかしいとか、普段は文句を言う牧野も、
  こんな日は大人しく手を握らせてくれるから。
 こんな風に、頬を赤らめながら嬉しそうに微笑んでくれるから。

 あたしは抹茶ミルクなんて飲まないよ・・・と頬を膨らませる牧野を見て、
 新しい手袋をプレゼントするのはやめようと思った。

 彼女の手を温めるのは、やっぱり自分の手がいい。





















 あの日と同じあの公園で、空から舞い落ちる白い欠片。
 そっと手を伸ばして、掌に載せて見る。
 ほんの一瞬、美しい姿を晒し、そしてすぐに消えた。
 それはあまりにも儚くて、なんだか切なくなる。


 「牧野見てよ、雪の最初のひと・・・・・」


 嬉々として振り返った俺の視界に映るのは、あの日と変わらない光景。
 コートを着込む自分と、哀愁さえ漂わせる、古くて小さな遊具。
 あの日と違うのは、ここに牧野がいないことだけ。 

 「・・・・・・」

 両手をポケットに入れて、小さく息を吐いてみる。
 空気中で白くなったそれが、一瞬にして溶けた。

 空を見上げれば、次々に姿を現す雪。
 顔の上に落ちては、はかなく消える。

 「・・・・・」

 上を向いたまま、そっと目を閉じると、瞼に映る光景。


 『雪が降ればいい』と口を尖らせる牧野

 手をつないで、足跡の平行線を残した雪道

 どんな時でも、元気をくれた笑顔


 
 そして、涙でぐしゃぐしゃになりながらも笑ってくれた、最後の彼女


 
 別れた事、悔やんでる訳じゃない。
 でも、もう一度歩き出すには、まだ勇気が出ない。

 ポケットの中で右手をぎゅっと握ってみる。
 今でも思い出せるよ、あの時の牧野の手の感触。
 少し恥ずかしそうに笑った顔も、照れ隠しにまくし立てた言葉の数々も。
 何もかも、全部覚えてる。



 ・・・ねえ、牧野、もう少しだけ、このままでいい?
 後ろを振り返ったりしないから、少しだけ、このまま立ち止まっていてもいい?

 右ポケットに詰め込んだ、あんたとの思い出。
 俺には捨てられそうもないから・・・・・


 「類さま、そろそろお時間です」

 公園の外からかかる声。
 一瞬にして現実に引き戻されてしまったけれど。

 「今行くから」

 牧野との思い出は、消えはしない。




 君に出会えて本当に良かった




 心からそう思ってる。
 だから、俺は1人で歩き始めるよ。
 
 ・・・あんたのくれた、大切なものと一緒に。

                    



                              Fin