「・・・牧野?」


 真白なバスローブに身を包んだ道明寺が、部屋の中から私を呼ぶ。
 ぬれた髪と、それから滴り落ちる水。
 適度に火照った彼の頬が、あまりにも妖艶で、私は目眩にも似た緊張を覚えた。

 「・・・何か、いいもんでも見えたか?」



         



 一歩、また一歩。
 道明寺がベランダに・・・私に近づく度に、胸の鼓動が速くなる。
 
 「月が・・・綺麗だなぁと思って」

 悟られないよう、平静を装って答える。
 普段は鈍い道明寺だが、こういうときに限って妙に鋭い。
 野生の勘が働くのだろうか?

 「嘘つくなよ」

 ほら、やっぱりばれた。
 鋭い道明寺はもちろん、隠し事のできない自分が恨めしい。
 
 「何か考え事してただろ?」

 背後から抱きすくめられる。
 胸が、ざわりと騒いだ。

 「言えよ」

 首筋に唇を寄せる。
 くすぐったくて、身をよじって逃げた。

 「本当だよ、本当に月を見てたんだって・・・」

 「・・・そういやぁ、今日は満月だっけ・・・?」

 2人で、月を見上げた。
 月も、私たちを見下ろす。

 「・・・ねぇ、私、月に帰らなくちゃいけないんだよ・・・」

 「・・・月?」

 「そう、月・・・」

 胸の前で交差する道明寺の腕を、ぎゅっと掴んだ。
 愛しさを精一杯伝えようと、その手に力を込める。

 「・・・私ね、本当は月の人間なの。
  地球の人間に恋して、月の神様に何度も何度もお願いして、その人に会いに来たの」

 「・・・それが、俺か?」

 そうだよ・・・とうなずく。
 そりゃ光栄だ・・・と道明寺は短く笑い、頬に口付けた。
 触れられた部分が徐々に熱を帯びる。
 このまま、向きを変えて彼の胸に抱かれたかった。

 「・・・でもね、もうすぐ約束の期限なんだ・・・
  その人と想いを通わせてしまったら、私は帰らなきゃいけない。
  今日は満月だから・・・お迎えが来るんだよ・・・・・」

 「お前、なかなか面白いこと言うな・・・月の人間で、今日お迎えが来る・・・か。
  ・・・だったら、暫く待たせとけよ。今までお前のこと放っておいたんだから、
  少しくらい遅刻したっていいだろ?」

 無理やり私に口づけると、彼はひょい・・・と私を抱き上げた。
 部屋の中へ戻ると、器用に扉を閉める。

 「それとも、お迎えから逃げちまうか?今までここにいたんだ、今更戻らなくたっていいじゃん」

 寝室へ入ると、私を優しくベッドの上へ降ろす。
 そのまま、覆い被さるようにキスをした。

 「・・・ダメだよ」

 ブラウスのボタンを1つずつ外していく道明寺の手を止める。

 「まだ・・・シャワー浴びてない・・・」

 「そんなのいいよ、もう・・・待てない・・・・・」

 体の芯を溶かしてしまうような、激しい口づけ。
 理性は飛び、感覚は麻痺する。
 それでも、私には忘れていけないことがある・・・・・
 だって、今日は満月だから・・・


































 
 ぼんやりする頭で、昨夜の出来事を反芻する。

 
 『自分の幸せと、司の幸せとどっちが大切なの?』

 
 夕暮れ時のカフェで、魔女・・・楓さんはそう言った。
 彼女の正面に座って、私は・・・何も言う事ができなかった。

 「今のあの子には、目先の幸せしか見えていません。
  このままあなたといることが、果たして司の幸せに繋がるのかしら?」

 鋭い視線で睨まれる・・・が、目を逸らす事はできない。
 逸らしてしまったら・・・そこでジ・エンド、おしまい。

 「そんな将来のこと、一度も考えたことはなくて?」

 ・・・考えていなかった・・・訳ではない
 両天秤にかけたら、道明寺は間違いなく私を選ぶだろう
 でも、そんなことで彼の未来を潰してしまっていいのだろうか
 取り返しのつかない過ちを犯してしまったら、私はその罪を償うことができるのだろうか・・・・・

 「司に縁談が来ているの。すぐに拒否するだろうから、本人にはまだ伝えていないけれど。
  大河原の時のように、失敗は許されない。
  ・・・聡明なあなただから、私が何を言いたいか、理解してくださるでしょう・・・?」

 そんな申し出に、私はうなずくしかできなかった。
 相手は、道明寺と肩を並べる世界屈指の大財閥の令嬢。
 棒に振ったら・・・道明寺家は破滅だ。
 一家の存亡をかけているのだから、道明寺が断れるはずがない・・・
 ・・・ううん、彼ならやりかねない。
 でも、私が望んでいるのは、誰かを踏み台にした幸せじゃないから


 だったら・・・
 私が身を引こう・・・・・


 いまなら大丈夫
 まだ、辛くないから・・・

 胸は少し痛むけど
 涙は尽きることなく流れるけど

 いつかは、楽になれる時がくるから・・・・































 灯かりひとつ灯されない部屋
 静寂の中に響く衣擦れの音
 大きな窓から、部屋を照らす満月

 月の優しい光は、私たちを優しく包む
 白く浮かび上がった道明寺の姿は、消えてしまいそうなほど儚く、美しく
 私の涙腺を緩ませるには充分だった

 



 「・・・なんで、泣くんだ?」









 
 目にキスをしながら、道明寺が微笑んだ。
 
 「・・・もう、触れられないから・・・」

 まだ言ってるのか・・・と、声を出して笑う。

 「大丈夫だよ。どんな迎えが来たって、俺がお前を帰さない。
  殴られようが蹴られようが、絶対離さない」

 そんな彼の言葉が、嬉しかった。



 でも、知ってる?
 『竹取物語』の皇子さまも、かぐや姫に向かってそう言ったんだよ
 何千人もの兵を盾にして、何千頭もの馬を盾にして、皇子さまは、かぐや姫をずっと抱きしめて
 それでも、彼女を地上にとどまらせることはできなかった

 そして、私達も同じ
 私が道明寺の前から消えなきゃいけないことは
 どうしたって変えられない・・・


 今夜が最後ならば、全てを刻みつけておこう

 今では愛しい、くるくるの癖毛も
 獣のように鋭く、それでいて獣のように優しい瞳も
 心地よく響く、低い声を紡ぎだす唇も

 無駄のない、整った身体
 少し意地悪で、長く綺麗な指
 噛むと真赤になる、少し小振りの耳

 私の身体に、遠慮なく無数の痣をつける癖
 快楽の時を迎える直前、私を名前で呼ぶこと


        


 『つくし』・・・と

 
 その一言が聞きたくて、何度も身体を重ねた
 何度も何度もねだった

 『名前を呼んで』・・・


 ベッドが軋む
 道明寺の動きが速くなる
 
 このまま、時が止まって欲しい
 このまま、永遠に繋がっていたい

 叶えられないとわかっていても、望まずにはいられなかった






 道明寺の口から最後の言葉が零れたら




 わたしは・・・・・




 月へ帰る



 





                                    



月へ帰る

奈々氏ちゃん








 ベランダに出て、夜空を見上げる。

 街灯も何もない真暗な闇。

 静寂の中に煌々と輝く、満月。

 その光は、地上にある全てのものを優しく包み照らす。

 柔らかな白い光、でもどこか儚くて、それが・・・哀しい。